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BodyJack (ボディジャック)

BodyJack / Suguru Goto
ボディジャック/後藤英

 

後藤英 (作曲、 Max/MSP/Jitter)
上野天志 (ダンス、ボディスーツII・パフォーマンス)

 

2008年4月12日 21時
ジュネーブ現代美術館
10 rue des vieux-Grenadiers / 
28, rue des Bains
ジュネーブ、スイス
マッピング・フェスティバル2008 ( Mapping Festival 2008)

2008年5月6日 20時30分
マデレオン・レベリオ・センター
27 Av. F. Mitterrand
94000 Cre´teil
クレテイユ、フランス

 

ボディスーツに関する詳細は:

http://suguru.goto.free.fr/Contents/Works/BodySuit/BodySuit-j.html

 

BodyJack Suguru Goto

 

日本のサブカルチャーの重要な地域、特に秋葉原は世界有数のオタク文化発信拠点として、あるいは聖地とまで言われるようになった。いわゆるオタクあるいはマニアの中でも、秋葉原を情報拠点として発展したテクノ・サブカルチャーや、近年のオタク文化を趣味としてさらに傾倒する向きを指している。おたくとは主にアニメやゲームやパーソナルコンピュータなどサブカルチャーに没頭する人間を指す言葉である。
アニメに関しては、 例えば「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」など代表として挙げられるように、広い年齢層が楽しめるものも増え拡散し続けている。
ゲームももう一つの良い例であろう。1990年代に入ると転機が訪れる。メディアミックスの名の下に漫画、アニメ、ゲームといったジャンルの統合が進んだのである。漫画がアニメ化され、アニメがゲームに移植され、ゲームが小説化されるという現象によってこれらのジャンルは急速に接近し、俗に「おたく文化」と呼ばれる、その他サブカルチャーから突出した同質性を持つ集団を形成する様になる。 2000年代より、海外に向けて日本の漫画、アニメなどの輸出が行われ、その文脈でもサブカルチャーという語は登場する。その際、サブカルチャーはおたく文化の意味で使われている。
近年では、教養そのものが揺らいでおり、従来ハイカルチャーを支えてきた知識人も大衆文化やオタク文化に注目しているのが現状である。趣味・嗜好の多様化・細分化や価値観の転倒により、従来サブカルチャーと見られていたものが一般に広く評価されるようになったり、ハイカルチャーの一部であったものがサブカルチャーとして台頭するという逆転現象も見られるようになっている。

 

BodyJack Suguru Goto

 

この「おたく文化」の一つ、特に最近世界的に広まり熱狂的な支持者が定着しつつある「コスプレ」に特に注目してみよう。こうした海外でのコスプレ人気を受けて、前述した「世界コスプレサミット」も開催されるに至った。2005年は欧米及び中国の6国で、2006年には更にタイやブラジルでも予選が行われており、今後予選開催国も増えていくものと思われる。
この「コスプレ」とは漫画やアニメの登場人物などの衣装を真似て変装、変身することを意味する。このコスプレは自己表現の一部であり、演じられる「拡張された自己」あるいは「もう一つの自己」と言ってもいいだろう。
少し前まではコスプレ=オタクの趣味として表立っては目に付かなかったが、上記に述べたように現在ではコスプレ自体が世界的に広まって大きな注目をすでに浴びている。フランスの美術評論家エルベ・シャンデスは、アニメを中心とする日本の「コスプレ」や「おたく文化」を「21世紀のジャポニズム」と評し、これらの文化が欧米の文化に大きな影響を与えていると主張し、おたく文化を擁護した。この現象はコスプレというものの解釈や意識の変化から、活動の幅が増えたためであろうか。
このようにコスプレは世界的な社会現象とまでなりつつある背景に、人はなぜこれを求め、したがるのであろうか?
一つにはにはまたアニメ上のみ存在するキャラクター、つまりバーチャルなパーソナリティーをリアリティーへもたらすことにもよる。つまり自己をバーチャルな人物へと投影する願望にある。
次には 人間が根本的に持っている、だれもが望む変身願望もあるであろう。

 

BodyJack Suguru Goto

 

自己の逸脱すること、アイデンティティーを拡張させる欲求にもある。何か別のものになることへの私たちの強い欲望は一体何なのか。強いヒーローになることも、違う性になることも、名付けられないものになることもまた、可能な世界があるとすれば、別のものになる瞬間の不安定さと自由さのためこそ、変身は必要とされ、またなされなければならない。
変身」changing、「変容」mutation、「変型」transformation…、といった概念がアートの重要な主題のみならず方法と戦略になっていることはすでに周知の事実である。
この変身をめぐる表現は、たとえばつぎの三つの類型に図式化することができる。
(1)主体の自同性の変容
(2)機械やテクノロジーとの混交による変型
(3)環境と作品との相互外在的な一体化
第一の類型は一般に「変身」という用語で予想されるアイデンティティの変換を指している。変わるのはまさに作家主体の「身」であって、それゆ作品はパフォーマンスや(再)構築された写真の形式をとることになる。
第二の類型はよりテクノロジーと主体との関係を強調している。乗り物=ヴィークルやカプセルに詰め込まれ、あるいは電子的なガジェットと共生、混交、相補的関係に入った主体を作品として提示すること。ここには合体ロボットや変型マシンの「トランスフォーメイション的想像力」が日常のテクノロジー感覚に投射された効果がうかがわれる。あるいは第一の類型に「サイボーグ」という要素をもちこんだ点にこの類型が成立するといってもよい。

「データスーツ」概念も、われわれがしばしば使用する「ボディスーツ」概念も、こうした動向を分析するために導入されている(もちろんここには「パワードスーツ」や「ウェアラブル・コンピューター」の創造的援用がある)。あえて「スーツ」という用語にこだわる理由は、それが「着込むもの」、あるいは身体に「装着」するものであるという次元をすでに超えている。というのは、「スーツ」概念の重要性は、「スーツ」が被っている身体の第二の皮膚になると同時にその内側にくいこんで身体に同化してしまう点にもあるからだ。このことは衣装でも機械でも変わらない。

 

BodyJack Suguru Goto

 

「ひとは有機体として生まれるのではない。有機体はつくられるのだ。」ボーヴォワールを意識したこの台詞は、変身や変型を主題的に扱うアートの最低限の前提である。この身体はたしかに「私のもの」だが、それはつねに「構築」されたものでしかない。この「構築」の虚構性を暴くだけなら過去のアートも取り組んできたことである。問題はこの「構築」が「私=主体」の思うようには起こらないで、突然の変換の操作として現れるという点にある。それゆえに「サイボーグ」や「スーツ」の概念を性や人種と並べることができる。「サイボーグ」はテクスト、機械、そしてメタファーであり、すべてはコミュニケーションによって実践のなかに理論化され、投げ込まれている」。逆にいえば、「テクスト、機械、メタファー」が行使されている表現文化においてはすでに「サイボーグ」を見いだすことが可能なのである(この方向はデリダ派のベルナルド・シュティグラーがステラークやVRを分析するさいの基本戦略でもある)。
第一の類型の変容や変身の交錯状況をさらに加速化する方向で、第二、第三の枠組みがテクノロジーの日常への圧倒的な浸透を通してなだれこんでいる。広義に「メディア・アート」と呼ばれる物の現在は、その反映そのものであり、「サイボーグ」や「スーツ」を展開するアートでもある。

 

BodyJack

 

特に上記の「ボディースーツ」のインターフェイスとしての特殊性が楽器演奏ではなく、身体技術(図式)の変容プロセスとして活かされている側面は興味深い点である。ここに新たな道具やマシンへの人間の習熟を見るだけでは足りない。ここではメディアは身体(主体)にあえて「扱いにくいもの」として(つまり洗練されていない楽器として)対することで、逆に身体(主体)の持っている潜在的可能性をひきだし、メディアと身体のヘゲモニー的な「抵抗」のなかから「変容した身体と音」を導きだすのである。
これはドゥルーズ・ガタリの「千のプラトー」とも関係してくる。つまり、こうした道具や機械とわれわれの思索や欲望や身体はくっついていると見なしたほうがいい。ドゥルーズ=ガタリはそのように人間の活動と道具や機械がつながっている状態になっていることを「欲望機械」とか「機械状」とかと名付けた。
これが、ドゥルーズ=ガタリが「機械」という用語を駆使する理由だった。ときに二人によってマシニスム(機械状主義)といわれる。まあ、わかりやすくいえば「みんな機械仕掛けになっている」という意味だ。
この中に登場する、これまた奇妙な「器官なき身体」という概念は、アルトーが使っていた用語をそのまま流用したもので、ドゥルーズの説明では、ヨーロッパの歴史と社会の深層の危機を告げる拠点にあたるものだとされた。
そのイメージはアルトーの次の詩に暗示されている。

  皮膚の下の体は過熱した工場である
  そして外では病者が輝いている
  彼はきらめくあらゆる毛穴を炸裂させて

まさに分裂症の渦巻く衝動を綴っている。ドゥルーズはしかし、この衝動を本物ととらえたのである。意識の本来の正体はこういうものだとピンときた。
一見、道具としての機械と身体の関係性のようであるが、実は人間の身体自体が機械仕掛けでもあり、アイデンティティという吸引力を持つ核を持たない器官なき身体の考えは作品の根本的なテーマと流れている。

 

BodyJack Suguru Goto

 

作品にて用いられる「ボディスーツ」と、映像での「アバター」やサイボーグを例にして関係性を見てみよう。「ボディスーツ」はパフォーマーの意思によって操られるものとみなされることができる。エレクトロニック装置の媒体によって拡張された身体という意味で同じ線上に置かれることができる。つまりヴァーチャルな身体と拡張された身体として存在する身体の意味は意図的に混合されるものとなる。「ボディスーツ」と映像でのサイボーグの関係性を見る際に、一方では物理的な身体であり、もう一方ではヴァーチャルな空間に存在するもののように思われる。人間の身体に対して相対的にロボットは人工的な身体より形成される一方で、映像でのヴァーチャルな身体は物理的な身体と対照的な位置にあると見なす事ができるなど論議を発展させることができる。
この作品のコンセプトは人工的な身体と現実的な身体の二元論的な関係性と追求することにある。人工的なものとヴァーチャルなものは時にはお互いに反し合っているもののように思われるが、両者はお互いに働き合うことができ、聴衆の文脈上で理解により意味性は変遷することもある。つまりこの文脈性は聴衆に現実性と人工性の概念を行き来することを提示する。「ボディスーツ」と、映像での「アバター」やサイボーグが介在するこのパフォーマンスは、ヴァーチャルと現実性の間を見る者に混乱させる。このシステムによってパフォーマンスをする重要性を強調するために作品は構成された。このコンセプトの「拡張された身体」は上記のシステムと共に形成されることを意図とされる一方で、根底に流れているテーマの「オーギュメンティッド・ボディーとヴァーチャル・ボディー」は人間の身体とそのアイデンティティは一体何であるかを問い出す意味をする。人間と機械は二元的のようであり、お互いに対立し合うようでもある。しかしこの作品では上記のシステムで共存し合い、実は「拡張された身体」として統合された一つのものとして見なされると言った方がむしろ正しいであろう。従って我々のアイデンティティは我々の身体内のみだけならず、外部とコミュニケートし拡張されるものである。
歴史的にアートは常にそれが存在する社会と関係を多くしており、現代社会より恩恵を得てきた。サイボーグ、ロボット、ボディスーツは人工知能の技術の影響を受けている。これによってサイボーグやボディース−ツは大きな可能性をもたらすもとのなったのだ。この点においては、この「拡張された身体」は冒頭の「コスプレ」が生まれ育った日本の文化を反映していると言えるかもしれない。
これらの技術的な可能性と美学的見地はこのシステムによってさらに新たな可能性をもたらすことになった。このシステムと自らインタラクションすることによって、新たな言語とその知覚を創造することはこのプロジェクトに於いて最も重要なことである。さらに我々のアイデンティティは我々自身の身体の内部にのみ収まらないことを再確認する。「拡張された身体」に基づいて作品化するにあたって、身体をの境界線はなどはなく拡大できることにより、このようなアイデンティティなるものが果たして存在するかどうか疑問が起こる事であろう。つまり人間が根本に持っている願望の「変身」はアイデンティティの壁を乗り越えて、無限に拡張するできるのである。多分、この「拡張された身体」によってこのパフォーマンスでは新たな可能性を発展することができることであろう。


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